「あの頃、コートにはいつもヤマハの青があった」
テニスコートを見渡し、ふと懐かしさに胸が熱くなることはありませんか。現在、ヤマハはテニス事業から撤退していますが、80年代から90年代にかけてのテニスブームにおいて、ヤマハのラケットは単なる道具を超えた「憧れ」の象徴でした。
今回は、今なおヴィンテージ愛好家の間で「魔法の杖」と称されるヤマハのラケットについて、その圧倒的なこだわりと、実際に振り抜いた者だけが知る唯一無二の体験談を深掘りします。
ヤマハがテニス界に刻んだ「楽器メーカー」の矜持
なぜ、ヤマハのラケットはこれほどまでに特別だったのでしょうか。その答えは、世界を代表する楽器メーカーとしての「音」と「振動」への執着にあります。
当時のカーボンラケットはまだ発展途上で、打球時に不快な振動が残るモデルも少なくありませんでした。しかし、ヤマハはピアノやバイオリンの製造で培った素材解析技術を応用。不快な高周波をカットし、必要な情報だけを掌に伝える「究極のフィーリング」を実現したのです。
特にヤマハ テニスラケットが提供していたのは、硬質なカーボンの中にもどこか「しなり」と「粘り」を感じさせる、非常に音楽的な打球感でした。
【体験談】今も忘れられない名機たちの「衝撃」
伝説の始まり「PROTOシリーズ」
私が初めてPROTO-01を握った時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。当時のラケットとしては珍しい洗練されたネイビーのフレーム。ボールを捉えた瞬間、まるでボールがフレームに一度吸い込まれ、爆発的なエネルギーを伴って弾き出されるような感覚がありました。
特にPROTO-03は、中級者から上級者までがこぞって手にした一本。スピン性能以上に「狙ったラインに寸分違わず突き刺さる」というコントロールの安心感は、現代の厚ラケではなかなか味わえないものです。
ボレーが変わった「EOS・EXシリーズ」
「デカラケ」時代の寵児だったEX-110やEOSシリーズは、まさにボレーヤーの救世主でした。広いスウィートスポットは、オフセンターヒットでも「面が負けない」強さを持っていました。
ネット際での攻防で、当てるだけで深く返る操作性。それでいて、ヤマハ特有のクリアな打球音。当時のコートでは「カツーン」という高い音が響けば、それは誰かがヤマハを使っている証拠でした。
今、ヤマハのラケットを手に取るということ
もし、あなたの物置や中古ショップでヤマハ テニスラケットを見かけたら、それは一つの「遺産」に出会ったと言っても過言ではありません。しかし、実際に使用する際にはいくつか覚悟しておくべき点があります。
- フレームの経年劣化: カーボンは見た目が綺麗でも、30年以上の歳月で内部が「へたって」いることがあります。現代の強烈なポリエステルガットをハイテンションで張ると、フレームが耐えきれない場合もあります。
- パーツの入手困難: グロメット(ガットを通すプラスチック部品)が破損している場合、代用パーツを探すのは至難の業です。
- 重さとバランス: グラファイト ラケット特有のズッシリとした重みは、軽量化が進んだ現代のテニスに慣れた身体には少し負担かもしれません。
それでも、あえてビンテージラケットをメンテナンスしてコートに持ち込むのは、今のラケットにはない「対話」があるからです。ボールを潰す感覚、指先に伝わる弦の振動。それは効率を追求した現代テニスが置き去りにしてきた、スポーツの原初的な喜びです。
まとめ:色褪せないブルーの記憶
ヤマハがテニス事業から去って久しいですが、彼らがコートに残した足跡は消えていません。サバティーニの華麗なバックハンドや、クルム伊達公子のライジングショットを支えたその技術力は、今も私たちの記憶の中で生き続けています。
もし、かつての相棒であるヤマハ テニスラケットを再び手にする機会があれば、ぜひ一度優しくストリングを張り直してみてください。最初の一球を打った瞬間、あの頃の青い空と、無我夢中でボールを追った記憶が、鮮やかな「音」と共に蘇るはずです。
今の最新モデルも素晴らしい。けれど、ヤマハにしか出せなかった「あの音」は、やはり唯一無二なのです。


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