パリパラリンピックでの金メダル獲得、そして史上最年少での世界ランキング1位。車いすテニス界の至宝、小田凱人選手の試合を観ていて、誰もが一度は驚く瞬間があります。それは、試合終了直後に彼が車いすからスッと立ち上がり、雄叫びを上げる姿です。
「車いすテニス選手なのに、なぜ立てるの?」
「実は歩けるのではないか?」
そんな疑問を抱く方も多いでしょう。しかし、その「立てる」という事実の裏側には、9歳で発症した過酷な病魔との闘いと、想像を絶するリハビリの体験、そして彼独自の「車いす」に対する哲学が隠されています。
9歳で突然奪われた「サッカー選手」の夢
小田凱人選手を襲ったのは、10万人に1人と言われる難病「左股関節の骨肉腫」でした。当時はプロサッカー選手を目指し、文字通りボールを追いかける毎日。しかし、ある日突然の足の痛みから、彼の人生は一変します。
「もう一生、走ることはできない」
医師から告げられたその言葉は、少年の未来を真っ暗に染め上げました。左股関節を人工関節に置き換える手術を行い、長く苦しい闘病生活が始まったのです。この時、病室で孤独に耐える彼を救ったのが、iPadで目にした国枝慎吾選手のプレー映像でした。
「立てる」ようになるまでの血の滲むようなリハビリ
人工関節を入れた当初、彼は歩くことさえままなりませんでした。日常生活を送るために、筋肉を一つずつ動かす感覚を取り戻していくリハビリは、まさに「自分との対話」だったと言います。
彼の「立てる」という状態は、決して病気が完治したわけではありません。今でも左足の筋力は制限されており、激しい運動をすれば人工関節への負担は計り知れません。それでも彼がリハビリを続け、杖を使わずに歩けるまでになったのは、「自分の足で立ちたい」という本能に近い執念があったからです。
試合後、車いすを降りて自身の足でコートに立つ姿。あれは単なるパフォーマンスではなく、彼が病気に勝ったことを、そして「障がいはあっても、可能性は無限だ」ということを世界に証明するための、魂の儀式なのです。
車いすは「体の一部」ではなく「テニスの道具」
小田選手は、自身の車いすについて非常に興味深い考えを持っています。多くの選手が車いすを「自分の足の代わり」と捉える中、彼はラケットと同じように「テニスをするためのツール」であると語ります。
普段の生活では自分の足で歩き、コートに入れば最強の道具(車いす)を操る。この切り替えこそが、彼のプレーに圧倒的なスピードと攻撃性をもたらしています。「歩けるけれど、車いすテニスが最高にかっこいいから選んだ」という彼の言葉には、同情を寄せ付けない強固なプライドが宿っています。
絶望を希望に変える「圧倒的なメンタル」の源泉
彼が病気を通じて得た最大の体験は、「失ったものを数えるのではなく、今あるもので何ができるか」を突き詰める力です。入院中、ノートに書き溜めた目標や夢は、すべて現実のものとなりました。
彼がコートで立ち上がる時、私たちは単に「立てるんだ」と驚くのではありません。そこにあるのは、一度は歩くことを諦めかけた少年が、自らの力で未来をこじ開けた「勝利の証明」です。
小田凱人という生き方は、何かに躓き、絶望を感じているすべての人に、静かですが力強いエールを送っています。「立てるかどうか」以上に大切なのは、「自分の足でどこへ向かおうとするか」なのです。


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