現代のテニス界において、100平方インチのフェイスサイズは「標準」であり、90平方インチを下回るラケットは絶滅危惧種と言っても過言ではありません。しかし、今なお一部のプレーヤーを惹きつけてやまない「85インチ」という極小の世界。
なぜ、あえて私たちはこの難しいラケットを手に取るのか。そこには、最新テクノロジーでは決して辿り着けない「真実のテニス」がありました。
1. 芯を喰った瞬間に訪れる「無音の衝撃」
85インチのラケット、例えば不朽の名器であるWilson Pro Staff 85を初めてコートで振ったとき、多くの人は絶望するでしょう。面があまりに小さく、少しでも打点が狂えばボールは弱々しくネットに突き刺さります。
しかし、奇跡的にスイートスポット——いわゆる「コイン一枚分」の核心——でボールを捉えた瞬間、世界は一変します。
手に伝わるのは「衝撃」ではなく、まるで温かいバターにナイフを入れたような、あるいは上質なシルクを撫でるような、滑らかで重厚な手応え。不快な振動が一切排除されたその打感は、現代のカーボン素材が強調されたラケットでは決して味わえない、ボックス形状のフレーム特有の「しなり」と「厚み」を感じさせてくれます。この一打を一度でも経験してしまうと、他のラケットがスカスカに感じてしまう。まさに「麻薬的」な魅力がそこにはあります。
2. 「守備」を捨て、すべての球に命を吹き込む覚悟
85インチを使いこなすには、現代テニスの常識を一度捨てる必要があります。
- フットワークの強制: 「なんとなく」で追いついたボールは、このラケットでは返りません。常にボールの正面に入り、正しい打点で構える。85インチは、サボり癖のある足腰を厳しく律する「最高のコーチ」になります。
- フルスイングの美学: フレーム自体が飛ばないため、当てるだけのショットは通用しません。常にラケットを最後まで振り抜く。その結果として生まれる、低く滑るようなスライスや、相手のコートに突き刺さるようなフラットショットの精度は、精密機械そのものです。
私がPro Staff 97からあえて古い85インチに持ち替えて試合に出た際、守備範囲は確実に狭まりました。しかし、攻めに回った時の「狙ったライン上へボールを置く」感覚は、何物にも代えがたい高揚感をもたらしてくれました。
3. ロマンを支える「道具」へのこだわり
85インチを選ぶことは、効率を捨てて美学を取る行為です。ピート・サンプラスが愛し、若き日のロジャー・フェデラーが振り抜いたそのシルエット。フレームの薄さ、そしてストリングパターンが密集したそのフェイスは、見ているだけでも所有欲を満たしてくれます。
もし、あなたが「最近のテニスが淡白に感じる」「もっと一球一球を丁寧に味わいたい」と感じているなら、中古市場でWilson Staff 85を探したり、そのDNAを継承するPrestige Classic 2.0のようなモデルに触れてみることを強くおすすめします。
4. 結論:85インチが教えてくれること
確かに、勝ち負けだけを追求するなら、もっと楽に飛ばせるラケットは山ほどあります。しかし、85インチを振る時間は、自分の技術の未熟さを突きつけられると同時に、正しく打てた時の「テニスの真髄」を教えてくれる時間でもあります。
スイートスポットで捉えた時のあの「パスッ」という澄んだ打球音。それだけで、今日コートに来た意味があったと思わせてくれる。85インチは、勝敗を超えた場所にある「テニスの快楽」を教えてくれる、最後の聖域なのです。
次は、85インチに近い打感を持ちつつ、もう少し扱いやすい「90インチ台の名器」をいくつか具体的に比較してみましょうか?


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